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2015-08-15 (Sat)
以前読んだ石田秀実氏の本の中で「柔らかい二元論」といった概念が使われていた
のを目にし、「なるほど」と深く頷いたことがあった。

善悪をハッキリと別々のものとして分けてある二元論とは違い、
「柔らかい二元論」では、善悪は固定した性質ではなく、
状況によって真逆のものにもなるし、
またハッキリと分かれているものでもなく、緩やかに反対のものに変化しうる
といった性質のものだと捉えるものであった。
そういったことから、「柔らかい二元論」という表現がされていた。


確かに、善悪の判断は時代や国、文化によって異なるため
固定した性質ではないし、
例えば善意で施しをしているつもりが、かえって相手が本来持っている力を
奪い取ってしまっている場合などもあり、そういった場合は
施すことがかえって良くない結果となってしまっているとも言える。
また、自然界における時間や季節のめぐりは、
はっきりとその区分が分かれているわけではなく
穏やかに段々と移り変わって行く。

また、太極図に見られるように、太極は陰陽が勾玉のように合わさって
成り立っており、その陰と陽それぞれの中に、
その対である小さな陽と陰が含まれている。

いつも思うことだが、これは現象世界の成り立ちを非常によく表しているなあと
感嘆してしまう。


人でも事象でも、両極のバランスがとれて初めて
安定していると言える。
それを、極端に善だけを求めたり、悪を排除する方向に行ってしまうと
それが「正しい」と思っていることなのに、どんどん全体も自分もおかしくなってしまう。
先日、お世話になっているmi-keさんが、「善ばかりを追いかけると苦しいものだ」
と、話して下さったが、本当にその通りだなあと、自身の経験を振り返って
感じた。

また同じくmi-keさんが、「清濁併せ呑む」といった表現がお好きだと
教えて下さった。
この言葉を知り、素晴らしい言葉だなあと深く感銘を受け、
同時に、上の「柔らかい二元論」のことが脳裏に浮かんだ。



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