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2015-07-22 (Wed)
ダイレクトパスや体感覚で検証をするのは、非常に疲れるしつまらないので
なかなか取り組めない、という方もいる。

また、どうしても「自分というファントム」が見破れないという
ご相談を頂くことも時々あった。

実は、自分というのがファントムだということがわからなくても
「全てはこのままで完全」ということに気がつくことは可能で
これまでにも様々な人がそれに気がつくための方法やヒントを
提示して来ている。

「とにかくこの苦しい心を何とかしたい」という人にとっては
なるべく簡単な方法で「あれ?何だ、問題なんて無かったんだ!
これで完全だったんだ」と気づけるような方法がよいと感じる。


そういった方法は、様々な人々が独自のメソッドやアプローチを紹介して
下さっているため、自分に合うものを試しながら、試行錯誤してみると良いと思う。
ある人には合う方法でも、自分には合わなかったり、または
自分には合っていても、他の人には合わなかったり、と様々だからだ。


今回は、「問題なんて本当はなかった」ということに
ハッと気づけたエピソードを一つ書いてみたいと思う。

以前、私はある時期に妙好人と呼ばれる人たちに関して
大きな関心を抱いていた時期があった。
その当時のお気に入りは浅原才市だったが、今でも強く印象に残っているのは
別の妙好人で、「差し支えなし、注文なし」の言葉で有名な
妙好人お園と呼ばれた人だ。

初めて知る方のために、簡単に逸話を書いてみたい。

 ある時、悩みか何かで心が苦しいという婦人が相談に来た。
 お園はそこで、これから真剣に絶えず繰り返し「お差し支えございません、
 ご注文ありません」と唱えるようにとアドバイスをした。

 数日後、その婦人が再び現れ、ここ数日言われた通りに
 ずっと唱えているが、一向に心の苦しさは変わらない、と訴えた。

 すると、
 お園:「お差し支えございません、ご注文ありません」
 婦人:「だから、唱えても何も変わらず、相変わらず苦しいのです」
 お園:「お差し支えございません、ご注文ありません」

 その時、婦人はハッと悟るところがあった。



と、こんな感じの内容だった。

人に「問題なんて本当はないんですよ、錯覚ですよ」と、くどくど諭されても、
苦しんでいる本人にしてみれば、「何が問題ないだ!」と反発心を覚えるだろう。
ところが、このお園のように、説明でもって教え諭すのではなく
本人が体験でもってハッと気づけるよう、効果的な力添えをしたのが素晴らしい。

生命と生命の触れ合いによる芸術だなあとさえ感じる。

私はこの逸話について、探究中に読んだのだけれど、その際、読み進めながら
私も最後のお園の一言で「ハッ」と気がつき、一時的ではあったけれど
頭と胸の中がポッカリとなったのを覚えている。


「いつでもどんな時でも生(せい)の源・本質から離れていない」ということがわかると
怒りであれ、イライラであれ、恐怖であれ、そういった俗にいうネガティブなものでも
自然の一部であり、全体性の中で今この瞬間に必要なものだから現れている
ということが感じられるようになる。

すると、やっきになって何かを排除しようとしたり、
改善しようとしたりする必要がなくなるため、自然な流れに沿って
物事が展開していくのに任せられるし、またそうしたいのであれば
積極的にそこに参加し、新たな展開へと寄与することも出来る。


「いつでも生(せい)の源・本質から離れていないのなら、
自分というのがファントムかどうかなど、どうでもいいんじゃないか?
迷いがあっても無くても、錯覚してようがしていまいが、
苦しんでいようがいまいが、どっちでもいいんじゃないか?」
と思う人もいるかも知れない。

確かにその通りだと思う。
究極的に言えば、何であれ、いつの時であれ、生(せい)の源・本質から
離れてはいない。
全てが生(せい)の源の現れであり、本質そのものだ。


それでは、何故様々なワークや検証をするのか?

それはまず、
「全てここにあり、何も問題はない。このままで完全だったのだ」
ということに気づけないでいる人にとって
ワークや検証などの方法により、そのシンプルなありのままの事実に気がつく
きっかけとなるようにするためである。

もちろん、それに気がついていない状態であっても、ある意味「完全」
ではあるのだけれど、それに気がついておらず、悩み苦しんでいる本人にとっては
非常に辛い。

多くの人は実際に苦しんでいて何とかしたい、という気持ちを持っていて、
そういった場合には、様々なメソッドや方法が実際に役に立つことがあるため
試してみたいものを試すのが良いと思う。


また、様々なワークや検証を行うもう一つの理由は
そういったことをしながら、色々と発見したり洞察が起こったりすることも
生(せい)の源・本質が楽しんで行っている「ゲーム」だと言えるからだ。


一人でも多くの心の苦しみを抱えている人が、どんな方法であれ
「何も問題はなかった、いつの時も生(せい)の源・本質から切り離されてはいなかった」
ということに気がつくことが出来、日々を楽しむことが出来るようになればいいな、と
心から願っている。


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