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2015-12-12 (Sat)
ここのところ頻繁に引用している井筒氏の本
(『井筒俊彦全集第8巻、意味の深みへ』)に収められている「書く」
というものに、大変感動を覚えた箇所があったため、是非ご紹介したい。

それは、人が存在するということは、ただそれだけでもう「書いている」
ことになるというものだ。


一部引用すると

 「書く」といえば、我々の常識は、筆またはペンで紙の上に文字を書きしるすこと、
 と理解する。
 それが、「書く」という語の普通の意味だ。だが、デリダの語る「エクリチュール」は、
 そのような「書く」の常識的意味表象から程遠い ― と、一見、思われるほど
 極端な拡張解釈が行われている。
 ペンも要らない。紙も要らない。文字など書かなくともいい。
 それでも、人は「書く」、現に「書」いている、のだ、というのだから。

 つまり、簡単に言ってしまえば、人は存在するという、まさにそのことによって
 「書」いているのである。
 しかも、人がそのなかに生きている ― と自分で思っている ― 「世界」なるものも、
 実は、ぎっしり「書き込まれた」、エクリチュールの構成物である。
 どこまで遡って行っても決して始点(アルケー)に到達することのない、
 無始点の過去以来、およそどれほどの数の人がこの「書き込み」に
 参加してきたことか。
 無数の人によって「書き込み」「書き出された」エクリチュールの共同世界のなかに
 生きながら、我々自身もせっせと「書」いている。
 (後略)


何という素晴らしい表現だろうか、感動で胸が一杯になる。

そう、大したことをしていなくても、自分がただこうして存在しているというだけで
それだけでもう、自分は(それぞれの人は)「書いて」いるのだ。
表層意識に、そして深層意識に、そして更にはそれをも超えたところ、
集合的な無意識の領域に、刻一刻と「書き」続けているのだ。

そして自分だけではなく、他の全ての人々の「書いた」ものとが合わさって
それが網目のように広がっており、この現象世界を織り成している、
その壮大さと美しさ・・・。


何もしていなくても、ただ存在しているだけで「意味」があり、この世界に
寄与しているのだ。
誰でも、一人一人が・・・。

そんなことを、改めて美しく感じられた。


| 生きるということ・生命 |
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