123456789101112131415161718192021222324252627282930
-------- (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
| スポンサー広告 |
2015-11-04 (Wed)
以前にもご紹介させて頂いたMさんが、笑いに関してこんなことを仰っていた。

 笑いって「慈しみのあらわれ」だと感じるのです。
 ユーモアはいつも救いを含んでいて。
 落語や漫才を観ていると、世間的には 「落ち度」 や 「劣性」とされる部分を、
 愛おしみで包んで差し出してくれているように感じるのです。


これを読んで、思わず大粒の涙がこぼれてしまった。

「そうか、そうだ・・・ 笑いとは慈しみの現れであり、救いだったのだ」と
その素晴らしさ、ありがたさに胸が一杯になり、そこから新たな感応反応や
洞察が色々と起こって行った。


「そうだよな~、笑いは単に気分が良くなるだけでなく、本当に”慈しみ”であって
”救い”だなあ」と、しんみり感じながらパッとテレビをつけると

「笑いはお祓い」

というテロップが現れ、思わずそのタイミングの良さに笑ってしまった。

「笑う門には福来る」ということわざがあるけれど、以前の私はそれを
ある種ポジティブシンキングのような感じで捉えており、それほど心惹かれるものでは
なかった。

けれども、上の「笑いは慈しみ」「笑い(ユーモア)は救い」「笑いはお祓い」
といったことを踏まえると、新たな次元で色々なことが見えて来た。


変な表現かも知れないが、ある意味、「笑えるが勝ち」というか、「笑えるが得」
だと感じる。

自分はこんなに辛い状況なんだ、とそれにどっぷり浸かって
自分の状況を恨めしく思ったり、他者や世の中に対して怒りでもって
一人渦巻いているよりも(そういう感情が沸いて来ること自体は仕方がないけれど)
そういった状況を(そして、そういった感情を体験している自分自身の姿をも)
ユーモアでとらえて笑えるようになれば、そこにはもう
笑いによる「慈しみ」と「救い」の力で、状況が変化するように
運ばれ始めているものだと感じる。

(厳密に言えば、どんな状況であっても、最初から救われているのだけれど
現象世界でそれを個人の次元で実感するには、やはり何らかの変化が起こることが
必要な場合も多い為、あえてこういう表現にした)


| 感情・人間らしさ |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。