123456789101112131415161718192021222324252627282930
-------- (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
| スポンサー広告 |
2015-05-29 (Fri)
いつだったか、テレビのニュースを見ていたら、ある見出しがパッと現れた。
それを見て、家族で思わず吹き出してしまった。

それは、こう書かれていたものだった。

「平和賞をめぐって争い」

何とも皮肉なことである。

しかし、長い間、私もこういったことをしながら生きていた。



子どもの頃から、私は様々な信念・思いをもとに生きていた。

「清く正しく生きること」
「真面目で他者から信頼される人であること」
「常に誠実であること」
「常に他者に親切であること」
「他者を思いやること」
「自分は我慢し、他者の希望を優先すること」
「どんな人であっても、誠意を見せ続ければ、いつか分かってくれる」

等々。

こうした信念や思いは、一見立派なもので、正しいもののように見える。

それでも、自分の中は非常に苦しい思いばかりだった。

特に、自分がそういった信念の通りに生きようとすればするほど、
それが出来ないと非常に罪悪感を感じ、
また、そういった信念に当てはまらない行動や生き方をしている人を見ると
自然と怒りが湧いたり、裁いて批判したりしていた。


しかし、成長する中で、「どんな人であっても、誠意を見せ続ければ、
いつか分かってくれる」という信念に疑問を抱かざるを得ないようになっていた。
何年、いや、何十年と精一杯誠意をもって接し続けていても
どうしてもその誠意が通じない人がいたのだ。


そして数年前、ある時期から突然、今度は「常に誠実であること」に対し
またまた立ち止まって深く考えなければならなくなった。

何か問題が起き、私が相手に対して「誠実に」対応すればするほど
相手はそれを利用し、かえって攻撃が酷くなったり、騙そうとしたりと、
本当に首を傾げることばかりのことが続いた。
状況は、逆に酷くなるばかりだった。

そんなある日、ふと気がついた。

「常に誠実であること」というのは、あまりに正しいことのように思えるため
絶対的な真理だと思って生きていたのだけれど、実は、
これも単なる信念の一種に過ぎないのではないか。
私はこの「単なる信念の一種」に固執して、しがみついて生きて来ていただけ
だったのであって、真理を体験を通して理解し、それがわかった上で
生きて来ていたわけではなかったのだ、
と・・・。


この洞察は、とてもインパクトのあるものだった。
そして、これまで信じていた様々な「絶対に正しいもの」が
次々と崩れ始めた。

また、何故私がそういったものにしがみついて生きていたのか、
その理由もわかった。

それは、そういった信念の裏には、そうして生きることによって
自分が何か得られるものがあると無意識のうちに思っていたからだった。

例えば、そういった信念の通りに行動すれば、人から批判されなくて済む、
徳を積める、親からそう言われていた、善い人になれる、物事が上手く行く、
幸せになれる、等等。


また、他にこんなものもあった。


「世界平和を!」
「世の中の人がみんな愛を理解すべきだ。愛にもとづいて行動すべきだ!」
「これが私の使命だ」

これらの思いへのしがみつきは非常に強く、
また絶対に正しいものとして疑わなかったため、その結果として、
これらの信念・思いに賛同しない人々に対して
非常に怒りと批判の気持ちを抱いており、また、
そういった人々を「変えよう」と奔走し、人々に押し付けていた
(本当に迷惑な話である)。

冒頭の「平和賞をめぐって争い」ではないけれど、
一方では「平和、愛」を唱えていながら、
他方では、心の中では怒り・批判など、刺々しさでいっぱい。
そして、他者へも自分の考えを押し付け、緊張関係を生む、という
これまた皮肉な結果となっていた。


確かに、世界平和、愛、地上の天国といったものは、
美しく、素晴らしいものである。

ほとんどの方はそう思うし、そんな世界になったらいいな、と感じるだろうと
思う。


けれども、危険なのは、これらの信念・思いにしがみつき
それを実現するために、自身の信念や思いを盲目的に採用し続けてしまうこと
だと感じる。

すると、こういった信念や理想に合わない人々や現象・状態は不十分であり、
不合格として捉えるようになってしまう。

そして、白隠禅師のいう「当所すなわち蓮華国」というものが
わからなくなってしまう。


今本当に必要な行動がとれるためには、いかなる信念や観念にもしがみつかず
生(せい)の源のただ在る状態、透明で、何にも偏っていない意識が必要となる。

そうして初めて、真の意味での平和、愛といったものが現れて来る。


もちろん、世界平和や人々のために何かをするのが悪いと言っているのではないし
それは素晴らしいことだと思う。そして、何であれ
自分がやりたいと思うことを、自分が出来ることを出来る範囲ですればいいと思う。

けれども、「常に正しく」、「自分は善いことをしている」、「愛と平和のために!」など
強い思い、熱い思いを感じている時ほど、一度立ち止まって、
その一見「素晴らしい」信念・理想にしがみついていないか、
周囲が見えなくなっていないか、
どこにも偏っていない純粋な意識でいるかどうか、確認してみるのが大切だと感じる。

すると、頭の中で作り上げたイメージや理想をもとに行動するのではなく
真の意味で今必要なこと、今やるべきことというのが
自然と行われるようになる。


私自身もそうであったし、また似た体験をされた方々からのメールも何度か頂き、
やはり「一見、善いものと思える信念」こそ、見破りにくく
より注意が必要であると感じた。


| ダイレクトパス・非二元 |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。