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2015-05-27 (Wed)
以前の記事にも書いたけれど、私は長い間生まれ変わりというものを
信じていた。

それは、悲しさや戸惑いへの慰めでもあったし、
また、自身で「これは間違いなく自分の前世だ」という体験があったことも
生まれ変わりがあるということの確信を強めていた。

また、前世の記憶がある子供たちに関しての論文や
今世で習ったことのない言語を話し出す人々がいる現象についても
「これぞ生まれ変わりの証拠だ」と興奮を覚えた。

けれども、究極のところ、非二元の見方として言えば
生まれ変わりは存在しない。
(現象世界においては、あると言えばあるとも言える)


私は8歳の頃から、何故かしょっちゅう戦争の夢を見るようになった。
それは非常に臨場感を伴う生々しいもので、目が覚めると
疲れと大変な気分の悪さでぐったりだった。

酷い時は、週に何度も見ることもあり、たまりかねて
成人してから心理カウンセリングに相談しに行ったこともあった。

カウンセラーは、「きっと抑圧した思いや我慢している感情が
そういった、おどろおどろしい戦争という夢の形で現れているのだろう。
もっと、我慢するのをやめ、のびのびと過ごした方が良い」
とアドバイスされた。

きっとそうなのだろう、とその場では納得した。

けれども、どんなに色々と試みても
その後何年もの間、相変わらず戦争の夢を見続けていた。
幸い頻度は減ったので、特に気にしないようにはなって行ったのだけれど
その頃から何故か、第二次世界大戦(特に、太平洋戦争)と聞くと
何だか無性に懐かしいような気持ちが湧き上がるようになっていた。

また、自身の家族や友人・同僚の多くもが様々な国籍や国・地域出身のため、
普段は「世界平和」を真に願っていたのだけれど、
それと同時に、女性であるにも関わらず、何故か軍隊というものに非常に興味を
抱いていた。

どこかで太平洋戦争展なるものがあれば、行ってみて
そこでの兵士の当時の生活の様子や蝋人形を見ながら
何故か懐かしさと悲しみを覚え、涙がこぼれた。


その後数年経ち、本心を知るワークをやっていた頃のある日のこと、
突然、「ああ!!」という全身を貫く感覚とともに、
自分の前世体験が蘇ってきた。

これは非常にリアルなもので、自分がどこで何をしていたのか、
また戦時中、どんな葛藤や思いでいたのか、そういった感情が
ありありと感じられ、とても苦しかった。

また、何故私が今回今のような場所で生まれたのか、
そして何故夫と巡り合ったのか、その「真の理由」なるものもわかった。

面白いことに、それ以降、戦争の夢はパッタリと無くなった。
何十年も繰り返し見て来ていたものが、その日を境に
パッタリと無くなってしまったのだ。

また、太平洋戦争と聞いても、特に以前のような感情は湧いて来なくなったし、
軍隊にも興味は無くなった。


こうして見てみると、いかにもこの「前世」の記憶や体験が
本物であるかのような感じがし、「実際に生まれ変わりはあるのだな」
と思ってしまう人も少なからずいると思う(私もそう思っていた)。


けれども、その体験を詳細に検証してみると、
いかにリアルな前世体験であったとしても、
実際に起こっているのは、今この瞬間、ある種の感情、体感覚が
浮かんでいる、ただそれだけのことだ。

それが、いかに臨場感を持ったものだとしても、強烈な体験であったとしても
ただこの瞬間に起こっているイメージ、感情、体感覚といったものに
過ぎない。

これまでの記事で触れて来たように、どんな体験であれ
今この瞬間に何らかの体感覚が浮かんでいるだけ、ただそれだけなのだ。


では、その「前世体験」の後、何十年も続いていた戦争の夢が無くなったり、
長年不思議に思っていた自身の不可解な行動や周辺の環境・事情について
その繋がりや理由がわかったりしたこと、
そういった「効果」については何だろうと思うかも知れない。

これに関しては、いくつか別々の見方が可能だけれど、非二元の見方で言うと
これまで因果関係の錯覚に関する記事などで見て来たように
ただ「戦争の夢が無くなった」だけであって、前の「前世体験」とは
非二元の見方としては、何の因果関係もないと言える。

そして、その他の「理由がわかった」というのも、
それもそういった感覚が浮かんでいるだけであって
それが何ら何かを証明するものではなく、
ただ一つの浮かんでいる事象に過ぎない。

更に言うと、「戦争の夢が無くなった」と主張することが出来るには、
それ以前にはそういった夢があった、ということが基になっているわけで、
これは記憶という概念を基に「昔と今」を比べていることになる。

記憶に関する記事でも書いたように、過去というのは本当は(非二元の次元では)
存在していない。


それでは、上でズラズラと書いた「前世体験」は何だったのか?

それは、現象世界における一種のストーリーである。

現象世界の中では、この瞬間には本当は存在していない「過去」といったものを基に
そこから様々なストーリーが生み出される。
これは、前世などの一見「突拍子もない」ものだけでなく
日常生活すべてにおいて当てはまる。

そもそも、非二元の次元で言えば、「自分」という個体は存在しておらず
それに相当する個別の魂といったものも存在していない。

あるのは、生命の源、それだけだ。

従って、生まれ変わる個人もいないし、魂もない、と言える。

けれども、生命の源が様々な種のエネルギーとして
ありとあらゆるものに姿を変え、この現象世界を形作っており、
同じ源から何かが現れては消え、またそこから現れては消え、
と繰り返されているため、そういう意味ではエネルギーの循環
(生まれ変わり)とも言えなくもない。


・・・と、上のこれまでの説明は、非二元の世界、空観の観点からの話である。


現象世界ではどうかと言うと、前世のように思える現象や体験はあるし
人間一人一人が個性を持って存在しているように、それぞれの
魂とでもいうべきものもあると言えると感じている。

非二元的に言えば、それらは全てストーリーであり幻想である、
で終わりにしてしまうけれど、私個人の感じているところでは
空観を捨て、現象世界で「普通」の生き方をするにおいては
どんな「ストーリー」であれ、そこから色々と体験したり学んだり
出来るところが多いため、前世であれ魂といった話であれ、
それらが全く無意味だとは感じていない。
むしろ、一人の人間としての人生や体験を豊かにしてくれる
一つのありがたい材料であるとも感じている。


まとめると、「前世や生まれ変わりは存在するのか」という問いには
「存在すると言えばするし、存在しないと言えば存在しない」
という答えが的確ではないかと感じる。

非二元の世界、空観の次元ではそういったものは存在しないけれど、
現象世界においては存在するように思える事象やカラクリも
確かにあるからだ。

現象世界では、そういったものはストーリーではあるのだけれど、
そこにはある種の夢があり、学びや気づき、成長があり、また重要なことは
人間の感情というものを様々な方面から体験し、理解することが出来るようになる
ということだと感じている。

人間の感情というものは何か?

それは、以前にも書いたように、分解すればある種の感覚、体感覚であり、
更にその本質といえば、生(せい)の源である。

つまり、現象世界のストーリーを通して、様々な感情や出来事を体験することで
生命エネルギーの様々な性質を体験することが出来、
それは生(せい)の源そのものを体験し、理解することになるのだ。

だから、「全部ストーリーだから何の意味もない」で終わりなのではなく、
その何の意味もないところに、全ての意味があるのだ。

全てが生(せい)の源の現れであり、生き生きとしている。


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