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2015-05-19 (Tue)
自分というファントムを見破るにあたって
多くの人の場合、どうしても自分がこの肉体だと感じてしまっている。
(普段の生活においては、もちろんこれは当然のことであり、
 何も間違っているわけではないです)

もちろん、精神世界関連の本を読んで来た人であれば
自分は肉体ではないと頭では分かっているものの、
感覚や気持ちとしては、どうしても肉体と一体化してしまっていることが多い。

非二元の世界をわかるためには(本当は、全てが非二元であって
そういった区別があるわけではないのだけれど)、
まずは、何をもって自分は「自分」がいると感じているのかを検証すると
やりやすいと思う。

そこで行き詰まった場合、次に心の奥底に隠れている恐怖の方に取り組むと
凝り固まったものが少しづつバラバラになって来るかも知れない。



自分は何をもって「自分がいる」と感じているだろうか?

例えば、

- 目に何かが見えている感覚
- ここに存在しているという感覚

こういった感覚があって、それでこれが「自分」だと感じているとする。

これを検証してみる。

まず最初に、ここで起こっていることを順番に詳細に見てみよう。

1. 見えている感覚(または存在している感覚) が浮かんでいる
2. 「これは自分だ」という気がする  が浮かんでいる
3. 「だから、自分はここにいる」という思い が浮かんでいる

実は、この3つのものは、それぞれある種の現象が浮かんでいるだけであって
実はこれらの間に因果関係はない。

1では「見えている感覚」があって、これは紛れもない事実。

2で、「これは自分だ」という気がして、この「気がする」という感覚が
 浮かんでいるの
は、紛れもない事実。
 → しかし、この感覚の内容である「これは自分だ」というのは
   単なる思い込みであって、何ら事実を証明するものではない。

3で、「だから、自分はここにいる」という思いが浮かんでいること
 それは紛れもない事実。
 →しかし、その思いの内容である「だから・・・」というのは
  単なる思い込みであって、何ら事実を証明するものではない。

ここで、「何で思い込みだと言うんだ、本当のことなのに!」と
疑問に感じるかも知れない。

思考(ここでは、「〜な気がする」「〜だと思う」という思いも含めて)は
実はただ浮かんで来た一つの現象に過ぎず、それは何ら意味のあるものでも
何かを証明する力を持っているものでもない。

それでも納得出来ないようであれば、次の例を見てみよう。

どこかの会場に、誰かが入って来たとする。
「あ、こんにちは」と自分が相手に言ったとする。
相手は無言のまま通り過ぎ、後方の席に座った。


その時、どう思うだろうか?

「何で挨拶したのに無視するんだろう、きっと自分を嫌っているんだ」
「人見知りの人なんだな」
「何て失礼な人なんだ」
「暗い人だな」
「きっと聞こえなかったんだろう」

などなど、人によって浮かんで来る思いは異なる。

こういった「思い」が浮かんで来たことは紛れもない事実だ。
しかし、これらの思いの「内容」は解釈であって事実ではなく、
単なる思い、推測、妄想だ。
人はこの内容を本当のこと(または説得力をもったものとして)信じてしまうので
何が事実で、何か事実でないか、そして更に言うと
ただ起こっている現象(相手が無言のまま通り過ぎて、後方の席に座ったということ)
に対して、いかに勝手な意味付けをしているか、ということに
気がつけなくなってしまう。


上の「自分がいる」という感覚の例に戻ると、
1、2、3のそれぞれの現象はバラバラの独立したものなのだが
「〜な気がする」「だから〜だと思う」といった思考を単なる現象だと見極められず
その内容の方を信じてしまうと、そこで真実が見えなくなってしまうのだ。


ただ、そういった思いが浮かんでいる時というのは
何らかの体感覚が一緒に浮かんでいることが多い。
そこで、その体感覚の方を見てみる。

では、「これは自分だという感じがする(気がする)」という感覚や思いを
直接検証して行く。

「これは自分だという感じがする(気がする)」と思った時、
どんな(体)感覚がするか?

その(体)感覚をただ感じてみる。

・・・・

その感覚自体に、「これは自分だ」と書いてあるだろうか?
それとも、ただ何らかの感覚(存在している感覚)があるだけだろうか?
このただの感覚に「これは自分だ」と書いてあるだろうか?


また、多くの人が「自分は体の中にいて、他の人は外にいる」と感じている。
そういった境界線は本当にあるのだろうか?
あるとしたら、どこが境界線なのだろうか?

例えば、「この体、皮膚が境界線となっている気がする」と感じるとする。

その場合、皮膚や体のラインをじーっと観察してみてみる。

・・・

実際に目で見たところ、皮膚や体のラインに「ここが境界線です」と書いてあるだろうか?
それとも、ただ皮膚や体があるだけだろうか?
そして、「ここが境界線だ」というのは、よそから浮かんで来て
勝手に結論づけている思考に過ぎないのではないだろうか?


そして、もし「でもやっぱりこの体の中が自分で、体の外が外部の世界という感じがする」
という感じがするのであれば
この「感じがする」という体感覚をまたじーっと感じてみる。

・・・

その体感覚自体に「体の内部は自分で、外部は外の世界です」と書いてあるだろうか?
それとも、ただ何らかの体感覚が浮かんでいるだけだろうか?


何度も繰り返し検証してみて、そこに因果関係があるかどうかしっかり見てみる。

もし、「体感覚があるだけ、というのはハッキリ分かるようになった。
けれども、まだ釈然としないものを感じる。やっぱりこれが自分だという気がする」
というのであれば、次に心の奥底に抱いている恐怖に関して
検証してみると、また違った発見があるかも知れない。

例えば、「皮膚の内側が自分という気がする」という感覚が強い場合、
もしかしたら、自分と体が本当は無関係であると見破られることを
無意識のうちに恐れている部分があって、それがブロックのように
なっている可能性もある。

「自分というファントムを見破りたい」「認識のシフトが起こって欲しい」
そういった思いで色々と探求を続けている時というのは、もちろん頭では
「”自分” が無くなって非二元の体験が出来るようになりたい」
と思ってはいても、体の方や心の奥深いところでは
実は「自分が消える」といったことに何らかの恐れを感じていることが
少なくないようだ。

そういった場合、この「自分が消える恐怖」の方に関して
体感覚でもって検証してみると何らかの突破口になるかも知れない。

「自分が消えること」、更に言うと「自分が消えることに対する恐怖」とは
本当に恐ろしいことなのか検証するために、
「自分が消えたらどうなるのか?」と思い浮かべて
その時に感じる思いや体感覚を検証してみるのがよいと思う。


「自分が消えてしまう」と思い浮かべてみる。

どんな思いや感覚が浮かんで来るだろうか?

「怖い!」「自分はどうなってしまうか不安」といった思いが
浮かんで来るかも知れない。

では、それらの思いが浮かんでいる間、
その思考や思いの内容の方ではなく、体に感じる感覚の方に集中してみる。

どんな体感覚があるだろうか?

十分にそれを体験して行くと、「あれ?怖いと思っていたけれど
実際に起こっているのはこれだけなんだ」と気づくことが出来るかも知れない。

「自分が消えることの恐怖」というのは、実は「消えてしまうということに
くっついているイメージや恐れの感覚」の方を怖がっていたに過ぎないのだ。
つまり、概念を恐れていただけなのだ。

実際には、何も起こらないし、起こっていない。


こういったことがわかって行ったら、徐々にまた
「自分は何をもって自分がいると感じているのか」の質問に戻り、
見ている感覚や皮膚という境界線についての検証などをしてみると
また違った風に体験出来るかも知れない。



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