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2015-05-12 (Tue)
「悟り」なるものを追いかけていた頃、それが達成出来たら
きっと人間離れしたような人や、自分が理想とする完璧な人間に
なれるのだろうと思っていた時期があった。

何故そんな風に思っていたのだろうか。

それは、自分の欠点や醜いと感じている部分を受け入れたくないため、
いわば、人間性から目をそらし、頭の中で理想とする自己イメージのみを
「合格」として、それを追い求めていたからだ。

しかし認識がシフトしてみると、超人的になるどころか
かえってより人間的になった。


私は長い間、「愛」に飢えていた。
自分が愛されるに値する存在だと思いたくて、
幼い頃から何とか「いい子」で過ごし、優秀であろうと頑張り続けていた。
大人になってからも、学歴・キャリアにこだわり
もっと上へ行けば満たされた気持ちになれるかも知れないと、
絶えず上へ上へと休まずに目指し続けた。

心身ともにボロボロだったのに、それにさえ気づいていなかった。
数々の慢性的な症状も、薬で騙し騙ししのいでいた。

ある時、私があまりに自分の心の声に気づかないでいたため
体が全力でストライキを起こし始めた。
心身ともに完全にダウンしてしまい、社会生活はおろか
日常生活でさえ普通に過ごせなくなってしまった。

そこから真理への探究が始まって行き、ご縁あって禅系の師匠に出会え、
様々な教えやワークに取り組んで行った。
その中で、今特にやっておいて良かったと感じられることが二つある。

探求中、私はどちらかというと主に禅や非二元のアプローチで
色々な気づきに至ることが出来たため、それらをとてもありがたく
感じている。

それでも、あえて今特に感謝していることは
「自愛」と「自分の本心を知る(自分に正直になる)」というアプローチだ。

この二つのワークのお蔭で、私は徐々に自分が長い間目を背けて来ていた部分、
決して自分の中にあるとは認めたくないような醜さや弱さ、
そういったものを認め、受け入れることが出来るようになって行った。

また、これまで自分の本心を押し殺して生きることが当たり前になっていたため
自分の本心が自分で分かっていなかった。
それを、本心を知るワークを長い間続けているうちに
自分が本当に感じていたことが少しづつ見え、また、どんなに「醜い」思いでも
そういう思いを感じていた自分を受け入れることが出来るようになって行った。

実は長い間、「正しい生き方をしたい」という方針をもとに生きていたため、
常に自分を始め、世の中や人を善悪に分け、
犯罪者や道徳を守らない人に対して非常に怒りを感じていたところがあった。

しかし、上のようなワークを続けて行くうちに、
世の中で「悪」「醜い」とされるものは、多かれ少なかれ、全て自分の中にも
あることに気がつき、そういった人たちに対して怒りどころか
憐みというか、同情心というか、理解をすることが出来るようになって行った。
そういった人たちこそ、実は非常に苦しんでいるということが
ひしひしと感じられるようになって行った。
(だからと言って、犯罪行為や残虐行為を肯定しているわけではないし、
悲惨なニュースには、今でも非常に胸が痛むことは確かだ)

自分の中にあっても認められないものは、
他者や世界に関してもそれを認めることが出来ないのだとわかった。

自分の中の弱さや醜さを受け入れられなければ、
他者や世界に関しても理解することが出来ず、
その結果、他者や世界に対するやり場の無い怒りと憎しみ、恐れで
一杯になってしまう。

長い間、私の内面はそんな風になっていたのだった。

精神世界の教えを学び始めた最初の頃は、とにかく他者を愛そう、世界を愛そうと
日々努力を続けていた。
けれども、一時的には気分が良くなった(気がした)ものの
しばらくすると、内面に押し込められていた本当の感情や不満が爆発し
反動が大きく返って来た。

私のような内面の状態でいた人にとっては、他者や世界を愛そうとしたりする前に、
自分に対して親切にし、自分をまず愛す、そちらが先だったのだ。

そして自分に正直になり、本心を知り、自分をそのままで愛する、
それが出来てこそ、自分の人間性をそのまま受け入れ
他者や世界に対する理解が深まって行くのだったのだ。

それに気づかせてくれたのが、自愛と本心を知るワークだった。


「目覚め」や認識のシフトが起こった後というのは、人間離れした人になることでも
欠点のない「きれいな」理想的な人になることでもなく、
むしろ、ありとあらゆる人間的な部分を含めた、「一人の人間」であることを
自覚し、この現象世界においての体験を重ね
人間としての役割そして生命を全うして行くことだと言えると感じている。

「目覚め」や「聖なるもの」を闇雲に追いかけているうちは、今の自分に満足出来ず
人間的な部分や自分というものを受け入れたくない状態であることが少なくない。

長い間心が苦しくて、人間をやめたかったけれど
人間であって本当に良かったと思えるようになった。

ずっと理想主義者であった私にとっては、やっと初めて人間になれたような
そんな気持ちだった。


| 感情・人間らしさ |
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