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2015-04-29 (Wed)
「自分」というファントムに気がついた後、
徐々に「他人」というのも同じくファントムで
実際にあるのは、生命の源が姿かたちを変えて
この人、あの人、というような色と形・機能で現れているに
過ぎない事に気がついた。

それぞれの「現れ」は音のようなもので、
一つ一つの音が合わさって、一緒にこの世界、宇宙という
壮大なスケールの音楽を奏でている。

非常に美しい。

そんなことに酔いしれていると、ふと、この「体」のことが気になった。
ダイレクトパスで言うと、実際は「体」という独立した個体があるわけではなく、
体のように見える色と形・感覚があるのみだ。

それはわかっていた。

しかし、この「体」は有限のもので、いつか消えて無くなる、
つまり「死」だ。
その時、「この体が消えた時、一体何が起こるのだろう。
意識はそのまま続くのだろうか」という疑問が沸き起こった。


しかし瞬時に、「いや、頭でどう想像しても、今この瞬間に関して言えば
この体はまだ生きている。実際にこの体が消えた時に何が起こるのか、
意識が残っているかどうかというのは、その時にならないと知ることは出来ない。
今ここであれこれ推測しても、それは頭の中の産物に過ぎない。」
という考えが浮かんで来た。

それで、「体が消えてしまった後についての事は、
今は知ることが出来ないのだ。何も考えないようにしよう」、と
その疑問から離れることにした。

ところがその瞬間、かすかではあるが、言いようのない漠然とした
不安感と恐れが浮かんで来た。

「この”自分”だと思っていたのは実はファントムで、本当の自分は
生命の源そのもの全てだと分かったのに、
どうしてこの体が消えるという事に一抹の不安と恐れを感じるのだろう」
と不思議に思った。

そこで、体というものが単なる色と形・感覚の集まりに過ぎないと
再度確認してみた。
確かにそれはそうなのだけれど、それでも一抹の不安感や恐れがあった。

一瞬、この不安感や恐れを見なかったことにしようかという
気持ちが浮かんで来た。

それでも、自分に正直になって、向き合うことにした。
そこで、この恐れの感情とは何か、じっくり確かめてみた。


・・・胸の辺りに、「怖い」という感情が浮かんでいる。


あ!ああ!とそこで気がついた。

実際に起こっていたのは、「怖い」という感情があるだけ、
ただそれだけで、それ以外には何も起こっていなかったのだ。

私が恐れていたのは、実際の「死」ではなく
「死」という概念にくっついてしまっているイメージ、
そちらの方を恐れていたのだ。

そしてその瞬間、全身が雷に打たれたような洞察がやって来た。


「死」など、本当は存在していなかったのだ!


この体のように見えるものは、一定の期間が経つと
消えて無くなるように見えるため、そこから「死」という概念が
生み出されただけであって、実際には「死」があるわけでは
ないのだ。

見かけに惑わされて、錯覚していただけだったのだ!

ああ、何という事だ・・・!!


これまで、何故か私の周囲には亡くなる人が多く、
子どもの頃から親の死、友人の死、友人の親の死、
その他身近な人の死を、繰り返し経験して来た。

その心の深い悲しみと戸惑い・不安感を慰めるために
生まれ変わり、輪廻転生といった教えに希望を見出していた。

それでも、禅やアドヴァイタに出逢い、
そんなものは無いのだと聞いた時、実はそれが真実なのだと
直感していた。

けれども、その一方、心の隅では生まれ変わりというものを
信じたかった。

とっくの昔にいなくなってしまった母、そして昨年亡くなった父、
彼らが霊界なりどこかなり、「別の次元」で別の姿形で
今も存在し続けていると信じたかった。

もし生まれ変わりや魂が存在しないとしたら、
両親や友達、その他身近な人々は一体どこへ消えてしまったと
言うのか。

ずっと心の底では悲しみが渦を巻いていた。


ああ、でも何ということだ!
本当は、「死」など存在していなかったのだ!

私はありもしないものをあると信じ込み、長い間苦しんでいたのだ・・・。


苦しみが大きかった分、真実が分かった際、その分ショックも大きかった。
これまでの自分の経験は一体何だったのか、
無駄に苦しんでいただけではなかったのか・・・。

あまりにショックで、しばらく涙が止まらなかった。


けれども、段々とそのショック状態が落ち着いて来ると
今度は安堵と笑いに変わった。


アハハハ、何だ何だ、「死」というファントムを
怖がっていただけだったんだ・・・!

な~んだ!と。


けれども同時に、これは他の人に言っても正しく理解されることは
ないだろうこともわかっていた。

身近な人を失って悲しんでいる人に、
「死なんて本当は無いんですよ。錯覚ですよ」なんて言っても
神経を逆なでするだけだ。

そして何よりも、自分自身、身近な人を失う悲しみと痛みを
繰り返し体験して来たため、人の死というものがどれほど悲しく
心引き裂かれるものなのか、身をもって感じられる。

なので、そういう人には、「死などない」などと「真実」を告げるよりは
方便として「あの世で元気にしているから大丈夫ですよ。
また別の人としてすぐに生まれ変わって来ますよ」
などと言ってあげた方が、よっぽど良いと感じる。

また逆に、真実を知る時期に来ている人にとっては
「死」とは概念に過ぎず、実際には無いのだと知ることは
真の意味での解放になるのだと実感した。



(後日注記: 非二元、究極のところは「死」はないということがわかっても
 この現象世界では肉体の死というのはまぎれもなく存在しており
 誰かが亡くなれば非常に悲しく胸が痛むのは、人間として当たり前の感情である
 ということを追記しておきたいと思います。

 また、生まれ変わりについては、いくつか異なった方面からの説明が出来るため
 それについては別の記事で改めて触れたいと思います。)



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