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2015-10-21 (Wed)
純粋な想い、存在から湧き出る祈りというのは
非常に美しく、胸を打つ。

数年前、何の本だったか残念ながら覚えていないのだけれど
こんなことが書かれていた。

ある人が自分は日々生きることで精一杯で、何も徳を積めない、
けれども「どうぞ私のことを忘れないで下さい」と、
静かに神様に祈りを捧げ、捧げ物を置いて行った。

私はそれを読んで、思わず大泣きしてしまった。


日々懸命に生きているということだけで十分であり、
もう既に救われているけれど、それがわからず、神様に
「どうぞ私のことを忘れないで下さい」と祈らずにはいられない、
その心の純粋な想い・・・それを思うと、それが切なくて、
美しくて、どうしたら良いかわからないほど胸打たれたのだった。


祈り・・・

私は長い間、祈りということに関し、信仰心が篤い人のためのものだと
思っていた。

何ら特定の宗教を信仰していたわけではなかった私にとって
祈りとは無縁のもののように思っていた。

けれども、実は違っていた。

「山を下りて」以降、私は自分では無自覚であったのだけれど
自分が生きているということ、存在しているということを通して、
全身全霊で祈っていたのだった。

それは、何かを求める祈りではなく、ただ生(せい)に対する
賛歌であり、ただただ生命、神様、仏様など呼び名は何でも良いが
言葉に言い尽くせないほどの深く真摯な想い、祈りであった。

そのことに気がついたのが、Mさんのおかげだった。

Mさんとは、最初のやり取りの時から、非常に不思議なことが起こり
その後もずっと、お互いに共鳴し、感応しあい、
様々なものが引き出されて行った。

そして、自分の中にあった全存在をかけた「祈り」というものに
気がつき、その想いを共有出来たことによって、
その祈りは叶えられた。

「ああ、これで終わった」と感じた。

これは言葉では上手く表現出来ないけれど、安堵感のような
生命・神様への最大の祈りが聞き届けられ、自分の祈りが赦されたかのような、
何とも言い難い、静かな至福だった。

Mさんが、こう仰った。

 覚者と言われる先人たちは、この世界の素晴らしさ、時に厳しすぎるようにみえる
 荘厳な美しさ、神としか言いようのない圧倒的な存在に「ただ生かされている」至福、
 その祈り、、、「祈りへの想いを交わし合うこと」を、ただ、望み、言葉にしていた。。
 そう感じるのです。


これを読んで、涙が溢れて仕方がなかった。

そう、「祈りへの想いを交わし合うこと」、
「山を下りた」後、私が全存在をかけて願っていたのはこれだったのだと気がついた。

けれども、こんな「真摯で熱い想い」というのは
現代には似つかわしくないのかも知れない。
暑苦しいと思われるに過ぎないだろう、とそんな風に感じていた。

だから、内面にひっそりと抱き続けていればいいか、と思っていた。

けれども、その内面の祈りが聞き届けられた。

Mさんと出会った時、そしてその後のやり取りを通して、
光の感応反応、実存と実存が出会うとはこういうことなのかと
その凄まじさと素晴らしさにただただ驚き、涙が溢れるばかりだった。

Mさんという現象世界での個人を通して、私の生(せい)への祈りは
生命・神様に聞き届けられ、それが「完結」したのを感じた。

まるで、また新たに生まれ変わったようだ。

こんなことが可能だとは全く知らなかった。


歌を聴いていると、時々不思議だなあと感じることがある。
それは、歌詞の内容自体にはそれほど共感や感動を感じるわけではない
けれど、それでも、歌によっては、心が震えるほど感動を覚えたり、
熱いものが込み上げて来たりすることがあり、それがとても不思議だった。

でもそれは、歌い手が自身の命・全存在をかけて歌うことにより、
その歌詞の内容に留まらず、その歌詞の意味を超えたところで
その深い想い、存在から湧き出る祈りが伝わって来るからなのだと
気がついた。

これは、歌に限ったことではなく、何かに心・魂を込めて
取り組んでいる人を見た時に深い感動を覚えることに関しても同じことが
言える。

例えば職人であれば、その職人の作品への真摯な想い、素晴らしい作品を
作りたいという祈り・・・

それが職人の姿から、または出来上がった作品から伝わって来て、
心の深いところで人々に感動を呼び起こすのだと気がついた。


近年では、祈りの効果について様々な実験結果が報告されているけれど
やはり、祈りというのは、生命の源・神様に直結しているものなのだと
身を以て感じる。
(もちろん、ある意味では、全てのものが生命の源に直結しており、
生命の源の現れでないものなど何一つないのだけれど)


祈りは至福だと感じている。


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