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2015-10-14 (Wed)
少し前、このブログでもご紹介させて頂いたMさんに、仙厓和尚について
教えて頂いた。

Wikipediaによると、仙厓和尚の辞世の言葉は「死にとうない」だったという。

Mさんがとても感動され、教えて下さったのだが、私もこれを読んで、
心が非常に揺さぶられ、感動して涙が溢れた。


精神世界、特に悟りといった分野に関心を抱いている人の中には
死ぬ間際に何の恐れも感情もなく、潔くサラリと死ねることを理想とすることが
少なくない。

また、一般のイメージでも、禅で長年修行を積んだ人であれば、
「死ぬなんて何でもない」と、いつでもアッサリ死ねることが凄いことであり、
また、それこそが修行の成果だなんて思い描いている部分もある。

けれども、それはある意味一面的な見方でしかない。

上の仙厓和尚の言葉、「死にとうない」というのは、本当に生(せい)を愛し
生きるということを丸ごと受け入れて生きて来られたが故の言葉であり
そこに生(せい)の全てが詰まっていると感じる。
「無明」による生(せい)への執着ではなく、 苦しみや辛さという経験全てを
ひっくるめた上での生(せい)そのものへの賛歌であり、生命の源の歓び・・・。


生きることが辛く、真剣に真理を求めている人の場合、心の奥底では
実は死よりも生(せい)を恐れていることが少なくない。

「死んだら楽になれるのに、こうして存在していること自体が苦しい。
更に、生きていると常に何か辛いことが起こり、それをずっと体験し続けなければ
ならない」と感じるため、つい生(せい)よりも死の方に親近感や安らぎを感じて
しまったりする。

けれども、生(せい)を選ぶことによって、全てがひっくり返るとも言える。


先日、『106歳を超えて、私がいま伝えたいこと』(曻地三郎著)という本を読んだ。
曻地氏は、65歳の時から韓国語を勉強し始め、95歳で中国語、100歳でロシア語、
101歳でポルトガル語、そして102歳でフランス語を始めた方だ。

そんな高齢になってから諸外国語を勉強されたことに非常に感動し、
その関連で本に興味を持ち読んだのだが、曻地氏に関しては語学学習だけでなく
生きるということそのものについて、多々心に響くものがあった。

曻地氏のお子さんのうち二人は小児麻痺で、更に20年間はパーキンソン病の
奥様の介護もあり、傍から見れば「苦労が多い」と思われるような人生だが、それでも
生きる歓びに溢れている曻地氏の生き方には、非常に胸打たれるものが多い。

奥様がテレビ番組の取材で、「障害児の母として、どんなことを感じていますか?」と
質問された際、「人様の知らない幸せを感じています」と仰られたそうだ。
これを読んで、「ああ・・・」と感動で胸が震えた。

自身の人生を振り返ってみても、辛い出来事、悲しい出来事というものがあっても
今見てみると、そのおかげで、そういった出来事がなければ知ることの出来なかった、
体験することの出来なかった幸せというものが体験出来たと、非常にありがたく
感じている。


数年前、何かの本に「宇宙は、あなたの全ての願いを叶えてくれるほど不親切ではない」
と書かれていたのを目にしたことがあった。

これを読んだとき、「不親切ではない」を「親切ではない」と読み違え、
「宇宙は厳しいということか」と思ったのだが、よく読むと「不親切ではない」と
書かれており、その時はその真意がよく理解出来ないでいた。

けれども今では、本当にこの言葉は言い得て妙だなあと感じる。
日本に来た当時、色々な夢や願いごとがあり、それらを実現すべく
自身でも色々と努力をしたり、自己啓発、そして精神世界へと足を踏み入れて行ったが
結局、それらの夢や願いごとはほとんど叶わなかった。

しかし、今はそれらが叶わなくて本当に良かった、「神様、叶えてくれないで
ありがとうございます!!」という気持ちで一杯だ。
というのも、もしそれらが叶ってしまっていたら、私は相変わらず
幸せというものを仕事や外部の環境といったものに見出し続け、
いつまでも内面と向き合うことをせず、心の中の苦しみを見て見ないフリを
し続けていただろうことがわかるからだ。

そうして、「偽物」の幸せを追い求め続け、身も心も更にボロボロになって
いつまでも彷徨っていただろう。

自分の頭で考える「幸せ」というのは、当てにならないもので
人生というのは、願いが叶わなかったり、予想外のことが起こることによって、
そこで「副産物」が生み出され、その「副産物」が実は本当の宝であり、
新の幸福であったということがよくあると感じている。


話を戻すと、曻地氏の本の中に、こんなことが書かれている。

 人生には、「なんで私だけ?」「どうして、自分の家族がこんな苦しみを味わなければ
 ならないのか?」と運命を呪いたくなることがあります。
 もしかしたら、いままさにあなたがその渦中にいるかもしれません。

  ですが、あえて言います。

  そのつらい出来事を通してしか知り得ないこと、感じ得ない幸福が必ずあります。

 そして、暗闇の中でそっと輝く、その「小さな光」に目を向けられる心の強さを
 ぜひとも持って欲しいのです。


そして、

  先に述べたように長男の有道は脳性小児麻痺でした。その影響で、人工肛門を
 つけなくてはなりませんでした。
  けれど、人工肛門というのは装着すればそれで万事解決というわけにはいきません。
 なかなか排出がうまくいかず、失敗してはたいへんなことになってしまいます。

  そんな状況に直面したら、あなたならどんな気持ちになるでしょうか。

  しかし、そんなときにも「幸せ」の光はともっているのです。

  実際、私たちは「どうしたら、うまく人工肛門から排出できるだろうか?」と、
 まるで何かの問題を解くみたいな気持ちで、前向きに、明るくチャレンジして
 みました。そうやっていろいろ考え、楽しみながら工夫してみると、
 さまざまな発見があります。食べ物の種類や食べさせる速さなど、
 うまく調節していくと上手に排出できるようになるのです。
 そんな風に悪戦苦闘しながら息子とつき合っていくのは楽しいものです。

  人工肛門をつけている息子。そこで絶望してしまったらそれで終わり。

  私は障害のある子どもたちと暮らしながら、「どんな状況にだって
 『楽しさ』を見つけることができる。明るく、幸せを感じることができる」
 ということを学びました。



これを読んだ時、特に「まるで何かの問題を解くみたいな気持ちで、
前向きに、明るくチャレンジしてみました。そうやっていろいろ考え、
楽しみながら工夫してみると、さまざまな発見があります」という部分は
「因縁成就」から、そこをどうやって活かすかという精神と同じものであり
更にそれをこんな風な形で実践されていらっしゃったのだと、
非常に感動し、自分自身も改めて多くを学べるなあと、ありがたく思った。

残念ながら、107歳でお亡くなりになったそうだが、この本を読むことが出来て
良かったと感じる。

本には、曻地氏が実践されていた健康法や長寿の秘訣などが書かれており
必ずしも誰にでも合っている方法というわけではないと感じる部分もあるけれど、
それでも、生(せい)に積極的に向き合い、丸ごと様々な体験を受け入れ
長生きされた人生には、とても感動を覚える。


自分も、仙厓和尚のように「死にとうない」と言えるほど生(せい)を、人生を愛し
丸ごと生きて行きたいものだと改めて思った。


| 生きるということ・生命 |
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