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2015-09-20 (Sun)
先日触れた、白隠禅師の本の中に、こんな逸話が
紹介されていた。
(下の文中での「禅師」とは、白隠禅師を指す)

 (前略)
 そのとき、お寺の台所では、小僧があやまって、
 たった一つの大すり鉢を割ってしまいました。
 すり鉢はお寺の貴重品であり、このすり鉢がなくては
 明日からの味噌汁がつくれぬ。
 さあ、たいへんと小僧はしかられるものと覚悟して、
 禅師に報告に走りました。
 池田候と対話中の禅師は、「因縁成就!」と静かにいっただけで、
 また池田候と話をしつづけました。
 (後略)




この話の「オチ」はこの先のところにあるのだけれど、
私はこの部分で非常に感動した。

そう、「因縁成就」!何と素晴らしい表現だろうか!
全てのことは、起こるべくして起こる。


ダイレクトパスや体感覚の検証に関連した記事では
全てのことには因果関係は本当はない、と書いたけれど
現象世界での次元で出来事を見れば、そこにはある種の
因果関係があり、何らかの因縁によってものごとが生じている。

その因縁というのは、生命の働きによって全体性の中で
様々な要因が絡み合って起こるものであり、人智を超えたところで
起こるものだ。


数年前、確か浄土系の思想に関する本だった気がするのだけれど
何かの本にこんなことが書かれてあった。

人というのは不思議なもので、例えば、自分の乗っている小さな手漕ぎ船に
別の小船がゆらゆら近づいて来てぶつかった場合、
もしその船が誰も乗っていない無人のものであれば、人は大抵何も思わない。
それが、その船に誰かが乗っていた場合であれば
つい頭に来てしまうものだ、というものであった。

確かに、その船に誰も乗っておらず、勝手にこっちに流れて来たのであれば
自然の流れだからと感じ、そんなに怒る人はいないのだろうけれど
人が乗っていた場合は、「何でよけようとしないんだ、わざとやってるんだろう!」
という思いが出て来て、頭に来てしまう。

このエピソードを読み、天災と人災とに分けて考える癖というものについて
ハッと気づかせられ、学ぶところがあった。

また、その当時は、「他人」という主体がいるのではなく、
ただ生命のエネルギーがその「人」を通して現れているだけだと感じると
天災も人災も実は何ら異なったものではなく、結局は生命のエネルギーの
現れなのだということが朧げながら感じられ、感動したのを覚えている。


上の白隠禅師の「因縁成就」は、まさに天災であれ人災であれ
起こることは起こるものであり、生命の源が因縁によって
その場に必要な姿形・出来事として現れたものであることが
より簡潔な表現で表されており、その素晴らしさが胸に伝わって来る。


天災であっても、その規模や衝撃が大きければ
「どうしてこんなことが起きたんだろう」「どうしてこんな目に・・・」
といった思いが湧いて来るのは自然なことだ。

まして、そこに誰か人が関わっている場合、
相手に対する怒りや「このやろう!」というような気持ちが湧いて来るのも
人間の感情としては当然のことだ。


精神世界の教えを学び始めた当初は、「良くない」ことが起こっても
そこで不快な感情を抱いてはいけない、何事も感謝しなくてはいけない、と
無理矢理自分の反応や感情を操作しようとしていた。

けれども、今ではどんな感情を感じてもいいと思っている。

何故なら、様々な感情を体験することが、生命にとって自然なことであり
また、それが人間として生きる歓びそのものでもあるからだ。


人間として生まれて生きていれば、様々なことが起こる。
先天的、後天的な要因に関わらず、身体的、精神的に色々なものを抱え、
また途中色々な予想外のことが起こり、腹を立てたり、悲しんだり、
恨んだり、悩んだり、様々な感情を経験する。

真剣に腹を立てたり、悲しんだり、恨んだり、悩んだりするからこそ
それを乗り越えられた時には、それが新たな生命の力と輝きとなり
自分にしか表現出来ない在り方・生き方というものが可能となる。
そして、そういったことを経験したこと自体が、生きている歓び、
存在の歓び、魂の歓びといったものへと変わって行くのだと感じるようになった。


そして、そういった様々な感情を経験しながら、自然と他者への理解も深まり
生命そのもの、生きていることそのものが本当にありがたく感じるようになるのが
非常に面白い。


| 生きるということ・生命 |
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