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2015-09-25 (Fri)
欧米の非二元の教えにお世話になっていた頃、そして
実際に認識のシフトが起こってからも、しばらくの間
この自分というのを「思考と感情・体から成り立つ複合体」のようなものだと
感じていた(実際、このブログの前半は、そういったスタンスで書いていた)。

そして、この現象世界で現れているこの「私」は、いわば暫定的な
フィクションのキャラクター、ゲームの駒のようなものに過ぎないと
見なしていた。

だから、何が起こっても「全てはストーリー」で片付けられるし
自分が何をやってもそれはこの「キャラクター」がやっていることだから、
ただ起こっていることだから、と身軽に感じたりもしていた。

けれども、ある時から、これはある意味「逃げ」であると気がついた。

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| 生きるということ・生命 |
2015-09-20 (Sun)
先日触れた、白隠禅師の本の中に、こんな逸話が
紹介されていた。
(下の文中での「禅師」とは、白隠禅師を指す)

 (前略)
 そのとき、お寺の台所では、小僧があやまって、
 たった一つの大すり鉢を割ってしまいました。
 すり鉢はお寺の貴重品であり、このすり鉢がなくては
 明日からの味噌汁がつくれぬ。
 さあ、たいへんと小僧はしかられるものと覚悟して、
 禅師に報告に走りました。
 池田候と対話中の禅師は、「因縁成就!」と静かにいっただけで、
 また池田候と話をしつづけました。
 (後略)



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| 生きるということ・生命 |
2015-09-17 (Thu)
『白隠禅師 健康法と逸話』(直木公彦著)という本の中に、
「人は病気では死なない。寿命で死ぬのだ」
といったことが書かれてあるのを見て、衝撃が走った。

そうか、確かにそうなのだ!

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| 生きるということ・生命 |
2015-09-08 (Tue)
前回の記事を書き終えてから、このブログのタイトルである
「ポッカリ空っぽ、でも満ち満ちている」という表現に対し
更に色々とまとまって来た。

motoさんからメールを頂く前は、自分で意識の上で自覚出来ていたものは
全てが幻想であり、空(くう)であるけれど、
それでもこんなにも何か、生命の活き活きしたものに満たされている・・・

といったものだった。

しかし、motoさんのおかげで、その満たされている感覚、
「満ち満ちている」といったものが慈悲の部分でもあると気がついた。

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| 感情・人間らしさ |
2015-09-07 (Mon)
精神世界に興味を持ち始めて以降、そして最近になって
「山を下りる」ことにするまで、正直言うと私は道徳を毛嫌い
していた。

長年の間、道徳を守り、出来るだけ「正しい」生き方をしようと
努めていた。

けれども、頑張れば頑張るほど自分の至らなさが余計に目について
自分が悪い人間に思え、ただ苦しくなるばかりだった。

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| 感情・人間らしさ |
2015-09-04 (Fri)
夢枕獏氏の『陰陽師』シリーズには、本質をついた素晴らしいセリフや
描写が多々出て来る。

今日は、シリーズの中の『瀧夜叉姫』(上下)から
自分であること、人間としてあることに関連したテーマで
数カ所引用して書いてみようと思う。

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| 感情・人間らしさ |
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